「どうしたい?」って聞かれても、
すぐに答えられないときってありませんか?
なんとなく不満はある。
なんとなくモヤモヤする。
だけど、じゃあ「何がイヤで、何がしたいのか?」って聞かれると、
自分でもわからない。
私はそういう場面を、たくさん経験してきました。
頭では「こうあるべきだ」とわかっているのに、
心がそれについていかない。
口ではポジティブなことを言いながら、
内側では、ほんの少しだけ、ずっと泣いている自分がいる。
そのズレを埋めるには、
やっぱり「自分の本音を深く見つめること」から逃げないことだと思うんです。
たとえば、
「イライラした」なら、それはなぜ?
「不安になった」なら、どこに?
「うまくいかない」って思ったなら、ほんとうに“何”が足りなかった?
そうやって、“もう一歩奥”に問いを掘り下げていく。
すると、少しずつ「見えなかった感情の正体」が見えてきます。
それは決して、自分を責めるための問いじゃなくて、
むしろ、自分を守るための問いかけです。
本音って、意外と静かなんです。
だからこそ、ちゃんと耳をすませないと聞こえない。
でもその声をちゃんと聞いてあげたとき、
人は、自分に対してちょっと優しくなれるんじゃないかと思う。
「自分って、こんなふうに感じてたんだな」って、
一歩引いた視点から見つめられると、
少しだけ心のゆとりが生まれます。
そしてそのゆとりが、
自分や人との関係を、柔らかくしてくれる。
思考の習慣って、そんなふうに、
生き方そのものをやさしく整えてくれる力があるんだと感じています。
次は、その“思考の幅”を広げる方法として、
「尊敬できる人の考え方を、そっと借りてみる」――そんな視点についてお話しします。